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2011年9月25日日曜日

ケータイ紛失顛末記「警察で殺されずケータイが戻ってきた!」by ワリード

どんどん日本を好きになっていきます。昨夜、ケータイを失くしてしまいました。あきらめることもできず、近くの赤羽駅の交番に行きました。夜の11時をまわっていました。英語が通じませんでしたが交番の警察官にはどこかの部署に電話を掛けてくれました。相手先のひとは1時間もかけてあれこれ調べてくれました。わたしが失くした時間帯ではいくつものケータイがすでに届けられていて赤羽警察署に保管されていることがわかりました。
その赤羽警察署は赤羽駅から歩いて20分ほどかかりました。すでに時間は12時半になっていました。真夜中です。教えられた場所の建物は警察署なのかはっきりしませんでした。イラクでは警察は大きく威圧的な建物で敷地には数台のパトカーが何台も停められているものです。
こんな遅い時間なのにジョギングをしている男性がいました。尋ねたところ目の前の建物がやはり警察署でした。場所はわかったものの時間も遅くわたしは歓迎されざる人間ではないかと不安になりました。
エントランスを覗いててみましたが誰もいません。やはりイラクなら数名の武装した警官が立ち番をしているものなのです。ちょっと上を見上げてみると警察の星のような看板が掲げられていました。パトカーが停まっていることにも気がつきました。この建物は警察署で間違いありません。
しかしながらわたしは建物にはいることにためらいました。警察署に入るには許可証がいるのでは?わたしはただ失くしたケータイのことを聞きに来ただけです。呼び鈴もないのでそのまま中に入ることにしました。わたしは足を止めました。こんな夜更けに勝手に中に入ることができるのがおかしい。警察署に警備がいないなんて異常な話です。たまたま警備がいないだけかもしれません。イラクでなら場合によっては命に関わる要注意な状況です。バグダッドで間違いで入った建物の武装セキュリティに殺されてしまう事故が多発しているのです。今にも誰かが現れてわたしを呼び止め不審者と見誤って銃を撃つかもしれません。


*ワリードの弟(四男)は警察に連行されたあとミリシアに殺害されています。手記14
(管理人より補足)
しかし誰も現れませんでした。わたしは独り言をつぶやきました。「ここは日本だ。もしこんな時間に許可もなく、来てはいけない場所だったとしてもそれぐらいのミスで殺されることはない」
中に進むとふたりの男性がいました。ひとりは警察の制服を着ていてひとりはスーツ姿でした。ふたりともわたしに銃を突きつけることはありませんでした。
緊張しながらケータイ電話の件を伝えると、すでにわたしが来ることを知らされているようでした。制服の警察官が私にイスを勧めると別の部屋に出て行きました。腰を下ろして部屋を見渡すとたいへんに清潔です。たぶんイラクでは五つ星のホテルでさえこれほどキレイではありません。この部屋を見て警察だとはイラクでは誰も信じないでしょう。
さほど待たされることなく警察官がわたしのケータイを持って現れました。もちろん誰もお返しにプレゼントを寄こせとかレストランに招待しろだのワイロの類を要求しません。警察官は大きく笑ってただケータイを渡してくれたのです。わたしはうれしくなってその警察官を抱きしめほおずりしようかと思ったのですが、ここは日本なのでやめておいて記念にその二人の警察官の写真を撮りたいと言いました。しかし職務上ということで断わられてしまいましたが記念の写真はなくとも二つの気持ちがわたしに残りました。ハッピーとサッドです。ケータイが戻ってきて幸せでした。素晴らしい日本の社会に触れました。悲しいあるいは情けないのは自分の国にはこのような優れた警察(警察官)がなく、紛失したケータイが届くというひとびとの誠実な行為にも期待できないということでした。
わたしたちイラク人は日本から学ぶことがたくさんあると思います。
ワリードより

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