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2011年6月20日月曜日

イラクの村、放射能汚染の影 8年経てがん相次ぐ

今朝の朝日新聞記事です。
http://www.asahi.com/special/npr/TKY201106190405.html
イエローケーキの入ったドラム缶が持ち出されたツワイサ原子力研究所はワリードの住む村から数キロしか離れていません。この高い塀に囲われた広大な施設は戦後米軍の基地になり、3年前逮捕されたワリードが最初に拘置されたところです。
1981年にイスラエル空軍が16発の爆弾を落とし、1991年の湾岸戦争では米軍がさらに破壊しました。出力の小さな実験炉とはいえ、人口4−5百万人のバグダッドから距離30キロ弱にある原子炉に爆弾を落とすのですからすごいことをするものです。
イラク政府は国民にも厳重に秘密にしており住民たちは放射線被害を知りようも防ぎようもなかったようです。湾岸戦争の数年後、近くを通った際に軍による厳重なチェックポイントがありました。その理由がわかったのはイラク戦争後のことでした。

参考まで2003年6月に現地取材したフォトジャーナリストの森住氏の記事です。
http://www.morizumi-pj.com/iraq/iraq4/03/iraq4_03.html
35マイクロシーベルトを検出したと書いてあります。
このとき乗っていた車に向けて集まってきた少年たちが石を投げ車のガラスが割れた(ひびが入った)ことを思い出しました。運転手は文句を言うと思いきやそのまま車を走らせました。

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