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2011年1月27日木曜日

メモ:拒否された医薬品

石油食糧交換プログラムが97年から始まりました。
しかしこのプログラムはイラク人のためではなかったようです。それまで産油国イラクの石油は原則輸出できませんでした。このプログラムにより部分的に解除されイラクは7年間で640億ドルという現金を手にします。人道支援物資として使われるという名目でしたがそれだけの巨額な金額ともなると腐敗はおきるもので国連幹部へのワイロ、そして結果的にフセイン一族に環流します。当時そんなことを知る由もなく上記情報は数年前に放送されたNHKのBSドキュメンタリーで知ったわけです。

15年前の記憶はあいまいですが配給は月に一回、公民館というか集会場のようなところで配られていました。小麦粉や米などの主食、塩、砂糖、食用油に石けんなどで肉・魚はなかったように思います。
ガソリンだけは戦前同様安くイラク人は死なない程度には生きていけるようになりました。
しかし医薬品は以前禁輸品に含まれイラクの患者には届かない状況でした。にも関わらずイラク保健省は97年、外国NGOからの医薬品の受け取りを禁止してしまうのです。
いまだにその理由がわかりません。
アメリカCIAが支援団体を偽装してイラク入りした。
期限切れの粉ミルクが大量に届いた。
HIVに感染した血液製剤がフランスから(誤って)届いた。
などとも聞いたことがあります。

フセインはメンツのために経済制裁の効果がないとアピールしたかった。救援物資は矛盾するので受け取れない。
逆に経済制裁のむごたらしさを世界に知らしめるために全ての援助を否定した、、、
他にも理由があったかもしれませんがいまだに納得できません。どなたか当時の事情に明快な方はぜひ教えてください。
で、事実は病院にはクスリは足りていませんでした。とくに抗生剤や抗がん剤などの難病治療に関わる医薬品が必要とされていました。
病院の実態を知り医師らかも要求があるにも関わらず政府のお達しもあって病院は医薬品を受け取りません。たいへんな矛盾とストレスでした。限られた方法はイラク赤新月社かイスラミックリリーフを窓口に通すことなどでした。一部のNGOは政府にパイプを持っていて活動を継続していきました。それが荒野の声を構成する諸団体でした。欧米系の団体は政治力が違います。と思いました。
(かつお)

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