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2011年1月27日木曜日

メモ:救援活動で刑務所行き

管理人です。経済制裁が風化しつつあるようではあるしワリードの次の原稿が届くまでの場つなぎに書いてみます。

湾岸戦争後の経済制裁は主に乳児幼児を犠牲にする戦争に匹敵、それ以上にむごたらしいものでした。
反対のキャンペーンを張ったキャシー・ケリーと荒野の声でしたが1998年アメリカ政府から罰金刑が下りました。経済制裁という国策に反し医薬品や粉ミルクなどを不正に輸出したという罪で財務省から訴えられました。団体には16万3千ドルの罰金、個人には1万ドル。30日以内に支払え、そうしない場合は12年間の禁固刑
という脅しというか嫌がらせのようなものでした。イギリス政府も似たようなもので荒野の声UKに5年の刑を言い渡したそうです。アメリカでは2002年、そして2005年にも同様の判決が出ていますがむろん荒野の声は1セントも払っていません。
日本のボランティアがイラクに物資を送って訴えられたと聞いたことはありません。アメリカ政府のやることはえぐいと思いますがアメリカではNGOの連中も気合いというか覚悟があるようです。実際に米軍がやってる空襲の最中にアメリカ人がイラクに留まっていたのですからふつうなら怖すぎます。2003年3月末米軍がバグダッドに迫りつつあるころ荒野の声の常宿のアル・ファナールホテルでメンバーのアメリカ人男性は「米軍が来たらおれたち全員、キューバの刑務所行きさ」と淡々と語っていました。日本人も一緒に連れて行かれるかな?とは聞けませんでした。30人近いメンバーは様々な国籍で、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、イタリア、それに韓国の教会から来たという韓国人のグループも見かけました。ホテルの対岸はチグリス川で黒い煙に覆われ砲撃音が聞こえていました。

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