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2011年1月14日金曜日

手記31:米軍の尋問

翌朝から尋問が始まりました。アラビア語の通訳はシリア人でしたが彼の訳はおおむね間違っている、あるいは適切な訳語を使っていないようでした。彼はアメリカ兵以上に短気でわたしたちの回答に満足せずに時に殴ることがありました。
米軍が聞き出したいことは「誰が米軍を攻撃しているか?」そして何人かの写真の人間を見せ人物を特定できるか、そしてレジスタンスに供給される武器弾薬の在処についての情報を聞きだそうとしました。

わたしは翌々日の3月3日までにイラク北部に行く約束がありました。日本から取材に来るマスコミとの仕事でした。米軍に事情を話し出発しなければならないと訴えましたが当然のように拒否されました。
彼らアメリカ人は最優等の人間でわれわれイラク人には配慮される価値がゼロなのです。
わたしは米軍に協力することをやめました。なぜに拘束されているのか?理由もわからずに何も協力はできません。米軍とネゴシエーションを続けようやく、わたしには追求されるような落ち度はなくいくつかの質問があるだけでまもなく解放される。という言葉を引き出しました。取調官によるとわたしに対するネガティブな報告があったがこれまでのところ証拠はないことがわかった。ということでした。夜の8時までかかり調書をまとめわたしと兄は翌朝には解放されるということになりました。弟の解放は遅れることになりました。

わたしは即座の解放を要求しました。しかしすでに夜になっており危険なので解放できないと扉を開きません。
おかしな話でした。米軍は必要とあればどんな時間でもイラク人を引っ張り出しています。現に基地内にいて夜の8時で解放できないとは。
このとき何かが企てられていたようです。米軍はわたしたちをじらし、一方で脅しいつのまにか操られ知らずにイラク側に引き渡されることになったのです。それはわたしたちがレイプされ殺されることを意味しています。後になって米軍士官から聞いたことです。

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