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2009年8月4日火曜日

支援のお願い

ワリード兄弟救済募金のお願い

ワリードはアラブの子どもとなかよくする会初期の活動からの重要な現地パートナーでした。また多くの市民団体やマスコミのイラク事情のコーディネーターとして日本とイラクとの関係を繋ぎ、多くの貢献をしてきました。
ワリードが米軍に拘束されたというニュースは昨年3月頃伝わってきました。この情報はワリードの友人からでした。治安の悪化したイラクでは外国人であるわれわれと連絡とること自体が自身や家族を危険に晒すことになり、メールのやり取りもたいへんな状況でした。

これまでに得た情報では
2008年2月
グルジア村(ワリードの一族が住む村。バグダッドの自宅が危険になり、国内を転々とし最後に避難していた一 族の村で米軍とイラク警察の治安掃討作戦で逮捕(拘束)されました。ワリードの兄ヤヒヤ、弟アリも 連行されました。

イラクでは宗派間の対立で数年前から騒然とした状況でありまた。米軍による不当な市民の逮捕も日常化していました。スンニ派であるワリード一家は2005年にシーア派民兵によりバグダッドの家を奪われ国内を転々としまた。先々で武装勢力や米軍による攻撃を受け最終的に出身地である郊外の村へ避難せざるを得なくなっていました。その後多くのイラク人同様、安全のためシリアへの脱出と再出発を試みたのですが、イラクに残した父親が何者かに誘拐され、蓄えの生活資金を身代金としてすべて支払ってしまいました。無事に解放された父親は数日後に心臓発作で亡くなりました。また闘病していた母親も体調を崩し、後を追うように亡くなりました。
さらに、弟の一人が礼拝に出たまま行方不明になり翌日、惨殺されて見つかりました。ワリードと一緒に逮捕された兄ヤヒヤはバグダッドで運転中に暴徒に襲われ後遺症の残る障害を受けています。
ヤヒヤはサダム政権崩壊後、日本からのイラク支援団体や個人の活動のガイド役として活動しました。医薬品買い付けや病院訪問は安心して任せられたたいへん温厚な人物です。
避難先の村はシーア派民兵やギャングに何度も襲われ、自警団を作って村を守らなければならない状況になっていました。

ワリードとヤヒヤは銃器保持を疑われ一年の刑期を言い渡されましたしかしすでに服役を終えたにも関わらず釈放されずさらに一年の延長が決まってしまいました。米軍がイラク司法制度の上にあり最終的には米軍がすべてを決定しています。

6月までバグダッド郊外の米軍の刑務所に収容されていましたが米軍の都市部からの撤退、イラク側への権限委譲などにあわせてイラク管轄の刑務所に移されました。とかく評判の悪い米軍刑務所ですがイラク刑務所にくらべればまだマシといわれるほどイラク刑務所はひどいようです。
また当時19才だった末弟には10年服役の判決が出てしまいました。

これまでは米軍がイラク司法制度の上にあり最終的には米軍がすべてを決定してきました。
今年春からイラクの家族と連絡が取れるようになり家族が弁護士を雇ったこと、高額な弁護士費用が不足していることがわかりました。またワリードが身分証明書を二重に所持していたことも逮捕の理由となったこともわかりました。スンニ、シーアが敵対しておりスンニのワリードはシーアの身分証明書が安全のために必要だったのかもれません。国内移動時それぞれのエリアで路上検問があり多くのイラク市民が生き延びるため同様の手段を講じていると聞いています。

働き手をいっぺんに失い残された家族の生活も困難になっています。
日本市民のイラク支援活動、取材活動などを支えてきたワリードが一も早く釈放され、日本とイラクの橋渡し役となって活躍できる日が来ることを、私たちは願っています。どうぞ、ワリードの弁護士費用のカンパにご協力をお願いいたします。
西村陽子     カンパの送り先
アラブの子どもとなかよくする会の寄付金口座
郵便振替 00170-1-613360 口座名義 伊藤政子
「ワリード支援」と書き添えてください

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